川地 千代(イエズス会社会司牧センター同僚)

  当センタースタッフとして、27年余りの長きに亘り貢献した柴田幸範さんが、8月24日、病気のために帰天しました。 51歳目前の若さでした。

「柴田さん、あまりに早く逝ってしまいましたね。寂しくなりました。」

  私は18年余り、同僚としてともに働き、本当にお世話になりました。勤務したほとんどの時間は、新宿区河田町の、ご近所さんと声を掛け合う「下町の一軒 家」で費やしました。たった3人の職場でした。昨年9月に、イエズス会本部の岐部ホールに引っ越して、「洗練されたマンション」に、まだぎこちなさを感じ ながら過ごしていたところでした。

  私が一緒に働きだした頃は、柴田さんは息子さんたちの保育園の送迎を楽しそうにしていました。小学校に通うようになっても、運動会や授業参観などの学校 行事に、沢山のお母さんたちに混ざって参加して、生涯、子煩悩な「イクメン」パパでした。 柴田さんは生まれた時からの熱心なキリスト者で、毎日曜には、省エネでもあり一人自転車をこいで朝7時のミサにあずかり、一日を大切な家族と過ごしていま した。

  柴田さんは、ずっとイエズス会社会司牧センターの「柱」であり、その歴史を知る人でした。責任感が強く几帳面で、誰もが一緒に仕事をして安心でした。そ して、ちょっと人見知りで照れ屋のところがありながらも、誰に対しても、常に変わらず公平で親切でした。 社会問題に関しての、カトリック教会やイエズス会の公文書については、「普通の」イエズス会員より概ね詳しかったと思います。質問には、理路整然と答え、 逆に、わからないことについては、はっきりとわからないと答えていました。イエズス会員からはもとより、誰からも頼りにされていたのは周知のとおりです。『社会司牧通信』読者の皆さんには、柴田さんは、つい前号までの編集者でした。彼が書く記事のテーマは、死刑廃止、いのち、心の悩み、環境、生命倫理、解 放の神学、そしてイエズス会関係の文書のまとめ等まで、非常に広範でした。近頃は、マイナーな映画や書評のコーナーも、積極的に連載していました。そして 度々、日本語訳もこなしていました。知識の引き出しが山ほどあって、バランスよくきちんと整理されていたのです。

  同時に、それらの分野の多くでは、カトリック、プロテスタント、仏教諸派等の垣根を越えて、ネットワーキングに尽力しました。草の根レベルでともに一市民として、共通の社会問題について考え活動するのが、決しておごることのない彼のスタンスだったと思います。

  例えば、センター内に事務局を置く、ジャパ・ベトナムというベトナムを支援する民間団体の事務局を20年務め、毎夏、ツアーでベトナムを訪ねつつ、こつ こつと支援活動を続けてきました。また、ここ数年は特に、死刑廃止について、諸宗教のネットワークの事務局を務め、国内外の市民グループや宗教者の人々等 と密に連携しました。まだ死刑制度の存する日本政府に色んな提案をしたり、死刑が執行される度に抗議し、人々に問い掛けたり、講師を招いて集会をしたり、 自分が講師になって大学で授業をしたり、諸宗教で祈りの集いを企画したりと、多くの人々の心を揺り動かし、死刑廃止に向けての運動に奔走しました。

「柴田さん、長い間お疲れ様でした。
センターには大きな穴が開き、取りあえず、私が『通信』を編集担当する羽目になるほどです!?歯がゆくも、忍耐強く見守っていてください。
天国で、好きな音楽を聴き、碁や将棋も存分に楽しんで、ゆっくりと休んでくださいね。
心からの感謝と敬意を込めて。」